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​​薬師院について

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花アート
​本尊

​第2次世界大戦の岡山大空襲により、大本堂・観音堂・大師堂・護摩堂・経蔵をはじめ客殿・庫裡、その他に茶堂・鎮守堂・鐘堂・仁王門など堂宇の数多く連なる伽藍は全焼しましたが、等身大金銅佛の御本尊様「藥師瑠璃光如来」は前もって避難し御安泰でした。『備陽記』岡山平醫山略縁起に、以下の如く記されています。

平醫山圓覚寺造立の由来を尋ぬるに、昔、当備前国平井山の沖に一つの大なる光り物あり、西方より飛び来る。其の光四方に輝きければ、諸人これを怪しみ、船を浮かべて網を海中に投じけるに、則ち是れ藥師如来の金像にて、其の丈六尺五寸、明光赫奕たるを引き上げ奉る。其の何方より此海に沈み給ふかを知る人更になかりしが、忽ち一人の尊き人現れ来りて、告げて曰く。
 此の金像は昔時、釈尊天竺摩加陀国に於いて、自ら閻浮檀金を以て七佛藥師の像を造り給ひし内の一つにして、今此の土地の衆生を化導し助け給わんが為、来現せられしなり、と。言ひ終わって、消すが如く何所にか失せにける。

 是より国人、大いに藥師如来を信仰し、此の地に荘厳なる一堂の寺を建立して、金像を安置す。即ち圓覚寺これなり。謹みて而も藥師経を按ずるに、広厳城に於いて文殊菩薩、釈尊に伺って諸佛の名号殊勝の功徳を問ひ給ひし時、釈尊は藥師如来「本願功徳」の至って深き事を説き給ひ、若し善男善女あって、藥師如来を供養せんと願はば、此の如来の形像を造立し奉るべし、と述べ給へり。是を以て惟みれば、彼の尊き人の言ひける事、確かに疑いなきことを知り得たり。

 年来、此の佛像に向ひ如何なる事を祈願するも、その霊験、響くが如くにして願意立所に成就せざることなし。其の昔時国家に災厄の有りし時、此の佛像の、肌に汗を流して諸人に知らせけるが如き、其の感応、決して幾度なるやを図り難し。今此の寺に詣ずる人、正しく東方浄瑠璃世界に至るの心地して、信心祈念せば衆病悉除の大誓願を蒙り、現当二世心身安穏の楽を受くる事、何の疑かこれあらん。
元和六年と寛永十八年の両度、仁和寺法務親王、令旨を時の住持僧に賜はり、前記の諸事を感じて後代の鑑と為し給ふ。誰か豈に尊敬せざるを得んや。

本尊紹介
本堂正面
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​本堂と客殿

五間六面の大本堂も、上道郡沼城の桃山時代書院を移築した客殿も、戦火にて焼失しました。戦後の復興に先駆けて昭和二十一年に仮本堂を、昭和二十四年には庫裡を建設し、一応はお寺の姿に再興、市民と檀信徒の教化・信仰の依所として宗教活動を再開しました。その後、昭和五十六年に現在の新本堂と講堂・客殿が完成し、平成三十年の新佛殿完成により、ようやく復興計画が一段落したところです。現在の本堂は戦前の大本堂と同じ立地にあり、旧堂をモデルに現住職が再現設計に鋭意参画したものです。

客殿
住職紹介
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​住職紹介

(「古刹巡り」第59回のインタビューより抜粋)

現在の第三十三世光法住職は東京大学とハーバード大学の大学院でインド哲学・サンスクリット語学を専門に研究され、帰国してお寺を継がれてからは、檀家さんたちに請われて仏教法話の会を続けておられました。


≪人を救うのは学問でなく宗教≫
文献学者として特に仏教を見つめてこられた光法住職は、その経験から「学問や科学の世界はロゴス(論理・理屈)が際立ち、情愛と心の世界がないがしろになる。実際に、悲しみ苦しんでいる人を救えるのは学問ではなくて、宗教だ」という持論。
「例えば、真言宗の両界曼荼羅の世界。金剛界はこの世の真実を見きわめる智慧の働き、胎蔵界は生命をはぐくむ母胎のような温かい大悲の心、を指しています。この両界が互いに補い合い、監視しあっていてこそ何事でも、この世でうまく完成します。決して一方だけに片寄ってはいけません。これは、弘法大師の大切な『不二』という教えです」と。
昨今の葬儀についてお伺いすると、「形が変わるのは、時代の流れの中で致し方ないことです。つまり、《諸行無常》。大切なのは、人の心の「あり方」のほうではないでしょうか。法事・法要も含め、とかく簡素な方向へ流れがちですが、ご遺族のお心(心情)を十分にお伺いし、その上でのアドバイスは必要だと思います。仏教の《無我》には、相手を立てるという意味があります。自分が先に出ては、仏教に携わる資格はありません。こちらの思いを一方的に押しつけないこと、これが仏教の基本です」と語ってくださいました。
住職のご子息、光敬師(副住職)は「古くからのしきたりや伝統から外れるような要望は、それが考え抜いてのことなのか、あるいは思いつきなのか。その辺の熱意にもより、真言の教義から大きくかけ離れたところがあれば、あるべき理由をお話しさせていただき、より多くの選択肢を考え、紹介し、納得いく結論を一緒に探していきます。そもそも葬儀は、一生のけじめであり、どなたにも安心していただくための儀礼ですから、後々の憂いになるようなことがないよう、時には家族葬や直葬の弊害もご説明いたします」と話してくださいました。

更新情報:令和三年二月八日 副住職雑誌インタビュー記事

PLUG56 号 "道 Vol.23"掲載

「故人の想いと縁をつなげる」葬儀が持つ本来の意義を知ってほしい。 井上万都里 株式会社いのうえ専務取締役
「相互供養 相互礼拝」皆で共に生きる、※自他不二を紡いでほしい。 松原光敬 藥師院 副住職

※自己と他人が別でないことを悟り、他が苦しむときに自も苦悩し、他を救済したいと考える精神

─ 戦前は城下町のランドマークだった真言宗 薬師院

井上)薬師院の堂宇は、岡山市に暮らす方なら必ず目にしたことがあるでしょうね。3年前には全席椅子を配し、永代納骨堂を備えた新佛殿を完成され、地域の方々や檀家さんにとってひときわ存在感が増したように思われます。

松原)岡山城の築城時に、領主宇喜多家より広大な寺地を拝領し、備前国周辺の僧侶が末寺住職になるための修行道場として、また地域では城下最大のランドマークとして、広く知られていたそうです。今後も世界中で活躍している檀家さんの子孫が、郷土を訪れた時に御先祖様の存在を実感できる場所として永代に亘りこの地に在り続けねばと思っています。

 

井上)副住職は一般企業でサラリーマンのご経験がお有りになるんですよね。

 

松原)大学で仏教を学んだ後「これからの時代は、お寺目線“だけ”に偏らず、檀家様目線に立った見方など、より広い視野で今後の寺院の在り方を見い出していかねばならない」と考え、当時注目されはじめていたIT業界に就職しました。檀家さんの情報管理など、寺務作業の多くをIT化できたのが経歴を一番うまく活かせた事例でしょうか(笑)。

 

井上)まさか(笑)。最近は副住職のように、すぐに仏門に入らない方が増えていますね。一般企業での就業経験は、仏道にとっても宗教にとっても大切なことなのではと私は思っています。 

 

 

─ 形骸化がますます進む? 葬儀の意義

井上)緊急事態宣言発令時には葬儀も縮小傾向にありましたが、現在の需要はコロナ禍以前程度までは戻ってきたように感じています。ただやはり、家族葬など「できるだけこじんまりと」という流れは止まらないようです。私は常々、葬儀において《主役は故人》であり、故人の生きてきた軌跡や生き様を伝えていくことこそが重要だと考えているので、葬儀の本来の形が失われてしまうのはとても悲しいことだと思っているんです。

 

松原)本来は遺族と知友とが夜通し故人の徳や思い出話に偲び耽るべき《お通夜》も、今では、仕事終わりに立ち寄れる《夜の告別式》に形骸化していますね。目まぐるしく変化する社会の中で、なぜ変わらず弔う儀式があるのか。本義を踏まえ、形式だけではなく心がこもり伝わっていくことが一番大切と考えています。 最近では、『鬼滅の刃』が社会現象となり、多くの方が無宗教を謳いつつも、主人公達が“自他不二”を己の責務とした揺るぎ無い決意を全うしたり、後輩達が燃える心を受け継ぎ成長していく姿に日本中が感動しました。慈悲喜捨の精神に満ち、尊く美しい行為や信念を感じ取り、素晴らしいと皆が感動できるのは、神道と仏教の影響を強く受けた日本文化の中で生活するうちに《当たり前の宗教感覚》が、実はしっかり根付いているからこそだと思うのです。 儀礼やしきたり、言葉にも消えないものが多くありますね。例えば「ありがとう」を英訳すると“Thank you”ですが、本来「有難う」は“You”一人にだけ向けるものではないでしょう。森羅万象すべての“因と縁”に対する感謝までもが込められています。そうした元来の意味を知る手助けをすることも、仏教の大事な役目の一つです。皆が《日本文化ならではの感覚》で良き含意や模範に気付き、自身の観念をどんどん培ってくれればいいなと思います。

 


─ なぜ若い世代の宗教観は《他人事》なのか

井上)私は、副住職のおっしゃる《当たり前の感覚》が、今まさに消えていくのでは、と危機感を持っています。特に若い世代の宗教離れが加速していて、さらに家族関係も希薄になりつつある。親の葬儀の際に、交友関係はもちろん親がどうしたいかを知らない、だから家族葬を選ぶ、というのが現実なのです。私は、主役になるべき故人が置き去りにされる葬儀が当然になってしまうことに警鐘を鳴らしたいと考えています。

 

松原)当院では“終活”を備えることをお奨めしています。本人の意志を知らずに他者が儀礼方針や、延命治療の可否を決める事は、とても責任重大で大きな心的負担になることもあるからです。 ただ、あとに残る若い世代に同じ宗教観を持っていてもらうのは確かに困難です。しかし宗教や祖先に対する畏敬は、日本の文化や環境にふれて育った人であれば何らかの形で自ずと具わる《心根》だと信じているんですよ。小学生の修学旅行で神社仏閣を巡りますが、友達と枕投げをした記憶しか残っていないですよね(笑)。 しかし、大人になって多くの人と関わり影響を受け、様々な挫折や喜び、感動を経験して心が成長してから再訪すると、同じ場所なのにまったく違う、時に科学で説明できない“神秘的な感覚”が得られることさえあるでしょう。人間としてしっかりした観念がないうちは、宗教観など目に見えないものの価値を自分ごととして考えられないのは仕方のないことかもしれませんね。 若い世代の人々に《心根》があっても、それを顕在化できないのは、人生の軸となるべき“心”を、例えるならば木々が根を張り基礎を固め、幹に年輪を刻み風に耐え、枝葉が繁り陽を一杯に浴び、花開き見る人に感動を与え果実をつけていくが如く、強く育てていきたい!という気持になる機会が希だからではないでしょうか。そもそも人間の成長とは何か? 密教では《三密加持》を行うことです。自分の身体と言葉(知識)と心との三つを、宇宙の大いなる力“大日如来”に支えられて、《即身成仏》に向かわせることを意味します。これに対して一般には、身体と知識はスポーツと学問などで鍛えます。では心はどうか? その心を育て感性を豊かに“人生の軸”を作るよう教え導くことこそ、宗教が本来担うべき役目なのでしょう。

 

井上)実は種子も、土壌もあるのに育てるチャンスが少なくなっている、ということでしょうか。本来、葬儀とは故人の考えや想い、付き合ってこられた周りの方との縁をつなぎとめるものだと思うのです。先祖から連綿と紡がれてきた歴史があってこその自分、という事実が忘れられつつある気がしています。

 

松原)核家族化で祖父母からの情操教育の機会も減り、神仏への畏敬の念を育てる為の神棚や仏壇は無く、正月の初詣と盆の墓参だけの方が増えてきました。宗教が日常生活に組み込まれていないために、急に宗教儀礼について理解することは難しいでしょうね。ですが、葬儀の際に宗教に初めてふれて、亡き人の供養を自分の身に引き継ぐことになったとき、自分なりの自覚とともに宗教観が生まれることは多いと思います。人が心を動かされるのは、自分のためにする行いではなく、人のために行動したとき。きっかけが四苦八苦の一つ“愛別離苦”の真只中であれば、なおさら意義深く向き合えるのではないかと思います。

─ 住職の言葉「人を救うのは学問でなく、宗教」

井上)東京大学とハーバード大学院で古代インド哲学とサンスクリット語を研究されたというご住職。長年学問として仏教に接してこられたにも関わらず、「人を救うのは学問でなく、宗教」というお言葉が印象的です。副住職は《学問》としての宗教についてどうお考えですか。

 

松原)お釈迦様は、“悟り”は言語道断(言葉では伝えきれない)だが、生涯“対機説法”(相手毎に最も理解できる説法)を続けられました。それを後世に残すために経典として編纂され、これまで国内外で多くの学者により研究されて、奥深い知識の宝庫となりました。この知識があってこそ理解できるということも多いですが、それがすべてではないのです。“理屈とは別にはたらく本能”に備わっている、頭で損得を考えるのでなく、感性により身体が咄嗟に動きだすという心も必要だと思います。例えば終わりの見えないコロナ禍にあって医療従事者の皆さんの心の中にあるのは“人を救いたい”使命感、ただそれだけでしょう。そうした本能的な“慈悲の心”や“利他行”と呼ばれる感性こそが、社会生活と人間関係に必須の《和》を完成させる力を持つと考えます。

 

井上)知識だけでは人を救うことはできない、ということですね。

 

松原)何が善なのか、なぜそうなのかを正しく理解するのが知識。これを行動に生かしていくのが“智慧”です。そして、人のためを思いやる心の“慈悲”。この智慧と慈悲が融合して生まれる行為、これこそが大乗仏教の根幹を成す《菩薩行の実践》なのです。

 


─ 世のため人のために今こそ「相互供養・相互礼拝」を

 

井上)ようやくワクチン接種は始まったものの、今なおコロナ禍の中で不安は払拭されていません。これから私たちの拠り所となるお教えをお聞かせください。

 

松原)文明が発達して飽和し、お金さえあれば直接人と関わらなくても生きていけると錯覚する現代の世の中は、特に人と物に対する「ありがたさ」が薄れていると感じます。誰しも、一人では生きていけないことが頭でわかっていても、得心できるかというと難しいでしょう。ですが、狩猟農耕の時代から、人類が進化し生き残れたのは、力を合わせて助け合ってきたからこそで、困ったときに他の人に助けを求めることは当然なのです。とかく日本人は他の人々に対して遠慮しがちで、一人で抱え込んで自分を追い詰めてしまいますが、コロナ禍の今だからこそ、当たり前に助け合い、お互いに手を差し伸べ合うコミュニティを形成してほしいと思います。弘法大師の「相互供養・相互礼拝」のお言葉。見えない縁で結ばれた皆が互いに尊敬し合い供養し合うこと。心のこもった思いやりの行為を互いに為し、礼拝し合うことです。しかも、他がための行為が実は自心の成長の糧になる事実《自他の不二》に気付き、そうした心的修行の実践がコロナ禍の中で見直され、よき未来につながるきっかけになるのであれば、コロナ禍さえ修行の一環として捉え直すこともできるのではないでしょうか。人間にとって自然は恩恵と畏怖の両面を見せます。平時は人間が制御できていると錯覚しますが、もちろん思い通りにはなりません。困った時は、お互い様。何時立場が逆転するかも解りません。そんな《無常》の中で我々はいつも互いに支え合い共生している現実を、今こそ思い起さねばならないでしょう。

 


─ コロナ禍だからこそ神仏に手を合わせる機会をつくりたい

 

井上)薬師院といえば年中行事やお茶席など季節ごとのイベントが盛んですが、コロナ禍で何か変化はありましたか。

 

松原)春秋のお彼岸とお盆の年3回行っていた大法要やお茶席も例年満員でしたが、やはり縮小を余儀なくされました。しかし、こういう時勢だから尚さら、祈り願う場を閉ざしたくないという想いで、新しい参拝の形を模索しています。本尊お藥師様の御威光が皆に届くように願い、試行錯誤の中で本堂正面に透戸を設置し、常に宮殿が見えて拝めるように。また、昨年の秋彼岸の行道(距離を保った行列)での本堂参拝など、今後もより宗教的安寧が得られ、安全にご参拝ができるよう工夫を重ねていこうと考えています。

松原 光敬
真言宗 薬師院 副住職
住職ハーバード留学中に1970年アメリカで生れ、2才で帰国。操山高校から龍谷大学仏教学科に学ぶ。卒業後はSEとしてIT企業で5年間勤務。その後高野山専修学院にて僧階取得、自坊にて経験を積んで現在にいたる。

真言宗平醫山 藥師院
市街中心地にある古刹。盛時は大本堂をはじめ、もと沼城の桃山様式書院を移した客殿や多数の堂宇が並び立つ大伽藍で、備前国の中学林を担う。戦後、寺領は大幅に縮小したが、檀家皆様と住職の尽力により、1981年に本堂を再建、2018年には新佛殿が完成した。数多いお檀家様に対する法務、相談や要望など、よりきめ濃やかな対応すべく、現在、住職と副住職、他に役僧4人が勤め精進している。

戦前の旧本堂
内 陣
戦後建立の仮仏堂
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